2013年01月27日(日)
130127 [《変容の対象》]
2013年1月27日の朝:濱地潤一さんへ今月の《変容の対象》6-7小節目(ピアノ)を送る。
Posted by shimaf at 08時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2013年01月25日(金)
130123-24 [《変容の対象》]
濱地潤一さんより今月の《変容の対象》5-6小節目を受け取る。
http://d.hatena.ne.jp/hamajijune/20130124
+
高村光太郎「智恵子抄」より
" 深夜の雪 "
+
楽曲の構造が一瞬見えては消える。覚えていて、納得できるものは採用していく。平行してプログラミングも進める。ただ、24日の夜は頭が働かず早寝した。
Posted by shimaf at 08時44分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2013年01月23日(水)
20130119-23 [福系]
1月もあっという間に過ぎていこうとしている。
19日に日付が変わってから、濱地潤一さんとチャットやSkypeをした。
http://d.hatena.ne.jp/hamajijune/20130119
その日あたりは雪がまた降り始めていた頃で、明け方には除雪車が走っていた。「この音はきっと除雪車です。」と濱地さんへ言うと「除雪車ですか。」と仰るので、一応窓まで行って確認してみたが、やはり除雪車だった。
そんな雪もその後の雨でほとんど融けて今日の朝は太陽も出ていた。ただ、気温はずっと低いようで、滑らずに歩くのが少し厄介だった。
Posted by shimaf at 08時55分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2013年01月21日(月)
130121 [《変容の対象》]
2013年01月21日の朝:濱地潤一さんへ今月の《変容の対象》のピアノパート、4-5小節目を送った。
Posted by shimaf at 08時40分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2013年01月17日(木)
130113-18 [福系]
先日、実家に帰っていてこれから形にしていかなくてはいけない作品のためのアイディアを考えていた。ただ、じっとしていても何一つ形にならないので、家の中をぶらぶら歩いたり、お餅をいただいたり、ウトウトしたりする。
尺八について父に二三の質問をしたりもする。一番いいのは、ノートにペンで何かしらを書き進めることだけれど、思っている以上に進まない。頭の中では一瞬光が見えたと思うけれど、そこへはまだ上手くたどり着けないことに気がつかされたりするからだ。
「微分と積分」が簡単に復習できるという本を中古で買って読んでみたりする。確かに今まで手に取った中では分かりやすいほうだ。IAMAS在学中に飛谷謙介くんが何かのプレゼンテーションで「(これはつまり)二階微分すればいいので」という言葉を使っていた。のをたまに思い出すのだけれど、「(...)二階微分していることと同じことです」だったかもしれない。そのときは上手く理解できなかったし、今聞いても分からないかもしれないが、ただ、その言葉の上っ面だけが頭に残ってしまったのは、さらりと言った飛谷くんの存在が何とも言えず良かったためだろう。
実家のピアノの上には誰が置いたのか「智恵子抄」の文庫本があった。本もだいぶ年期が入っているようだったので、父か母のものだろうと思う。「智恵子抄」といえば、この話を題材に作曲家の清水研作先生がモノ・オペラを制作されているのだよな、といつも思い出す。清水研作先生は新潟大学で私が3年生の時に赴任されて来た方で、コンピュータ音楽を指導してくれた。Maxを紹介してくれたのも清水先生だった。当時はMIDIをリアルタイムに操作できる作曲ツールなどなかったから、とても感激したのを覚えている。そのとき受けた衝撃の延長線上に今現在も繋がっているのだ、というくらい重要な時だったのだと思う。
当時、私はピアノ科で、それもとても劣等生だった(いつだってそうだが)ので、作曲を学びたい、とは誰にも言えず、ただ魅力を感じて清水先生の授業は聴講するようにしていた。
13日にはだいしホールで大学時代の後輩にあたる近野賢一さん(バリトン)のリサイタルが行われた。去年、5年半のドイツ留学を終えて帰国していた近野君に再会したく、日曜だったがなんとか時間を作った。
シューベルトの「冬の旅」全曲演奏で、ピアノは鈴木賢太先生(大学時代の恩師)。24曲を休憩なしで約70分。すばらしい集中力と表現力だった。大学時代には見たことのない表情も伺えて、、シューベルトが「冬の旅」を作曲したのは30歳の頃だそうだ。今の近野君が丁度その年代でしょう、作曲された作品と演奏者の特殊な関係を再び考えたりもした。
今回、近野君のステージ上で見せたどこか悲哀を帯びた表情はしばらく忘れない気がする。(ひょっとしたら何かのきっかけで度々思い出すかもしれない。)
「若気の至りということで許していただいて、」と2曲のアンコールもなんなく歌いきった。ステージ上での語り口はチャーミングで誠実な変わらぬ近野君の姿がそこにあった。精神の純度について。
和歌山の濱地潤一さんにも聴いていただきたかったな、などと思いながらもすばらしい時間だった。
和歌山の詩人/作家の佐藤春夫の事を濱地潤一さんが近頃語っているので、改めて調べてみると「智恵子抄」(<-誤り(注1))の作者だったことを今更知った。
今更ながら読まなければいけない、と思う。
+++
(注1)濱地潤一さんから後日連絡いただき、上記、正しくは「智恵子抄」を書いたのは高村光太郎で、高村の友人であった佐藤春夫がそれをもとに小説にした「小説智恵子抄」が正しいとのこと。お恥ずかしい限り。
Posted by shimaf at 23時15分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】