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mimiZのライブ情報、音源などを発信していきます。

2011年12月22日(木)

111221 [《変容の対象》]

画像(320x213)・拡大画像(800x533)

2011年12月21日の夜に濱地潤一さんへ《変容の対象》のピアノパート、3-4小節目を送る。

その後、流れで濱地さんとskypeでのチャットに。

ラヴェル、バルトーク、「薬指の標本」、、時間こそ短かったがここでも有意義な話になった。

Posted by shimaf at 09時03分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年12月20日(火)

111217 [福系]

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Dec.13,2011 Niigata

2011年12月17日に日付の変わった頃に、skyapeで濱地潤一さんと飛谷謙介さんと3人で会話をしました。

今までは互いのskypeのバージョン違いの関係なのか、なぜか濱地さんだけが会話に参加できないという不具合があったのですが、濱地さんのハードウェアの変更で今回は不具合なく3人での会話を楽しみました。

濱地さんの記述
http://d.hatena.ne.jp/hamajijune/20111217



非常に楽しんであっという間に午前6時頃に。次の日は合唱の練習などで朝から動きました、自分の顔は目が窪んでクマが出てやけに老けた顔になってにやけており、その顔に我ながらちょっと驚き、これは何かの中毒の人みたいだな、、などという言葉が無配慮に頭に浮かんだりしたのですが、
いや確かにこれはその通りかもしれない、と思い直したりしておりました。



そして気がつけばもう20日。

Posted by shimaf at 16時10分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年12月16日(金)

111215-16 [《変容の対象》]

画像(320x213)・拡大画像(800x533)

2011年12月15日の朝:濱地潤一さんより《変容の対象》2011年12月の2-3小節目(サックスパート)を受け取っていました。

http://d.hatena.ne.jp/hamajijune/20111215

どちらがどちらのパートか分からなくなるような、不思議な感覚を受ける。

+

12月16日の朝、雪が積もった。

やはり今年は何か雪を見ると「ある感覚」を思い出す。それが当たり前に感じていたこともあったのだが、実を言えば数年前からこの感覚は正確には思い出してはいなかった。頭で理解している経験をたぐる事はできていたとは思うけれど、感覚に包まれるようなことはなかった。

今年も完全にその感覚をつかんでいるわけでもなく、一瞬それが心によぎっては去っていく。その繰り返しの中にいる。

感覚の記憶のやり方には2種類あるのではないか。

また「この感覚」とはいまのところ極端に個人的な経験であるような気がしている。それに、それぞれどんな人でもいくつかのこうした感覚は持っているのはずであるが。では、もしこれを正確に形容することができるのかしら、と想像してみる。それは同時にそうした感覚の伝達を私自身が誰からか受け取っているのか、という問題と同じことであるはずだ。

Posted by shimaf at 18時55分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年12月09日(金)

111209 [《変容の対象》]

画像(320x213)・拡大画像(800x533)

濱地潤一さんへ《変容の対象》2011年12月の1-2小節目をようやく送る。

基本的なルールは濱地さんからのアイディアをもろもろ受け継いだ。

2011年12月09日。新潟は雪が降った。

Posted by shimaf at 23時27分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年12月08日(木)

111204 [《変容の対象》]

画像(320x213)・拡大画像(800x533)

横浜市 若葉台

+

2011年12月5日の朝:電車に揺られ何気なく外を見ると、遠くの山が雪で白くなっていた。なぜだか、子供の頃に家族でスキーに出かけたときの雰囲気が蘇ってきて不思議な気持ちになった。ナイターのスキー場でリフトに乗っている情景、当時流行したPOPソングが山中に反響している響きの不思議さ、自分の呼吸する音だけが耳元で聴こえてなんとも形容しがたい静けさを感じたりする、子供の頃に自然への畏怖とともに感じた何気ない場面だ。
もう何年もスキーはしていない。そのせいかもしれないが、冬の雪山は今の僕にとっては過去の自分、せいぜい高校生くらいまでの自分が感じ取った何かと関係しているものとなっているようだった。

記憶とは不思議だと改めて思うと同時に、そうして自分の記憶に刻まれるような何かとはそもそも何か。そしてこうして記憶されるものは現在もあるのだろうか、と考えて、やはり現在のその渦中ではそれを判断する事は難しいな、とも思った。

それに、問題はなぜそうした感覚が記憶され、ふとしたきっかけで蘇るのか、そもそもそうした機能がなぜ備わっているのか、でもある。

+
2011年12月4日:夜に濱地潤一さんより《変容の対象》2011年12月の第1小節目を受け取る。

http://d.hatena.ne.jp/hamajijune/20111204

メールには今回の動機を組み立てるのに重要な要素となる音列の組み方の説明が記されていた。その説明と動機を確認して、頭の中に次の可能性がどぅと流込んでくるのを感じるようだった。

結局、その可能性をどのように結実させるのかその決断を迫られているという気持でいる。そして4日が経過している。

+
《変容の対象》も今月で3年目が終わろうとしている。1年目、2年目、3年目とそれぞれに課題が生まれ、それに対処してきた。3年目は守り/熟達に向うかと思ったが、そうはならずに、解体/再発見を目指す方向性となった。2011年1月の曲がわずか1小節で終止するという事実が象徴的だった。

それぞれの年で、最初の動機を書く人は交代しているので、3年目の12月は濱地潤一さんからの動機からのスタートであり、これは初年(2009年)に続いて2回目となる。初年も12月は重厚な動機からはじまり1年の締めくくりにふさわしいどっしりとしたものになったのを思い出す。去年の12月は僕の動機からだったが、もうどんなものだったか忘れてしまった。

12月の動機は濱地さんからのものがしっくりくるな、と今月の動機を受け取ってそう思った。
初年に比べて旋律自体は軽やかだけれども、そこに込められているものがまた別の重厚さを備えている。

《変容の対象》もまず、2人の差異から開始され、その差異から時に第3の印象が現れる、ということを(二人とも)何度も体験してきた。その一種の幻との対話の中から記憶と関係する楔(くさび)が打ち込まれることがある。久しぶりに過去の曲を聞き返すとその頃の(おそらく心の)状態が蘇ってくるように感じるからだ。おそらくそれらも、冬山の雪化粧の風景と同等の機能的な景色となっていくものなのかもしれない。だとすれば《変容の対象》の持つ機能とは自らの内にも外にも偏在するものとなる。

ではさらに、「山の雪化粧は私にとっての《変容の対象》である。」

こうした論が可能かどうか。やや倒錯している気もするが。保留する。

Posted by shimaf at 18時59分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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単旋律と重なりと。

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メモ、感想。増補『響きの考古学』。

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