mimiZ

mimiZのライブ情報、音源などを発信していきます。

2009年08月21日(金)

090820 [福系]

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昨日の夜からmimizのことを少し考えていました。

ふと本屋によることになったので、濱地さんが紹介されていた太宰治の「東京だより」を読んでみたく文庫本を探しました。太宰治の文庫本がどの棚にあるのかも分からない状態ですので、見つけるまでしばらくぐるぐると歩き回りましたが、無事に見つかり目当てのお話を探すことにしました。
しかし、実際「東京だより」の題名を正確に覚えていたわけでもなく、なにか「東京」がついていた気がするという程度だったので、最初に手に取った新潮文庫の「ろまん燈籠」という本の目次に「東京だより」の文字を見つけた時も果たしてこれであっているかよく分かりませんでした。
ひょっとしたら「東京」のつく題名はたくさんあるのかもしれないと、他に2、3冊目次を確かめましたがやはり見当たらないようなのでそれを購入しました。
落ち着いて読み始めると「東京だより」はなるほどこんな感じはあまり受けたことがない。コンパクトなのに確かに印象深いものが残る良い作品かもしれない。太宰治とはこのような文体なのか、坂口安吾とはちがうすこし乾いた調子が一見あるような気がして、まずはそのような気持ちも残りました。
今回は意識的に自ら太宰治を読みたいという気持ちと、濱地さんの薦められていた作品ということが重なって2重の意味で太宰治を読んでいるので、まだよく分かりませんがただこれはもう少し読み進めたいぞと思える喜びの中にいる気がしました。

では次は、と目次に目を通したら、「みみずく通信」という題名が飛び込んできました。内容はまるで想像できませんでしたが、なんとなく惹かれたということはありました。多分昨日の夜からmimizのことを少し考えていたからかもしれません。


内容は太宰治が新潟を訪れたときのものでした。新潟高校の講演に招かれた時のことのようです。イタリア軒の話がでたり、万代橋が出てきたりと新潟に住むものとしてはなにか不思議な気持ちにさせられました。

Posted by shimaf at 22時57分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年08月17日(月)

090724_0813-14-17. [福系]

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7月の24日は25日の前日リハーサルだった。リハーサル後、PAでお手伝いしてもらっていた円秀さんからDVDをうけとる。haikarahakutiの鎌田悠くんからだという。去年の12月29日に古町のBe-Oneで行われていた彼らのライブになんとか足を運んだものの、結局最後のhaikarahakutiまでは観れず残念に思っていて、それを鎌田君へ後日連絡したら、記録DVDを作ったのでくれるといってくれていたのでした。
では、次回お会いした時に、という約束のままに結局お会いすることができずじまいになっており、、そのDVDを結局人づてに受け取ることになってしまって、少し申し訳ない気持ちにもなりましたがありがたく受け取りました。


8月12日は高校の弓道部の同期男子の飲み会に参加した。半年に一度の恒例になっている。今回も会には遅れたけれど参加できてうれしい。元々女子部員に比べて男子部員は少なかったので自然に結束もできていたのかもしれないし、何より当時部長だった彼がとてもマメに会の段取りをしてくれる。みんなそれぞれの道をしっかり歩んでいる様子もわかり刺激される。楽しく飲めました。


13日は実家でお盆。夜はmimizでスカイプミーティングした。みんな元気そうだった。スカイプで3人で話をするのが珍しかったらしく、父が興味を示していた。スカイプミーティングももう慣れてそれだけで楽しいみたいなのはなくなったけれど、その分内容重視のミーティングになりこれもまたよかった。約90分。


17日の夜、haikarahakutiのDVDを観る。うけとったDVDにはメディアが3枚入っていてそれぞれ出演者ごとに分けられていた。logos、aleva、haikarahakutiの3組。どれも新潟の若手でしかも独自の分野で頑張っている方々。
logosは当日にライブで拝見していたのでDVDは観ず(当日のライブはとても良かった)、alevaはまた次回ということにして、haikarahakutiを観る。
やっぱり観るたびにこの人たちのスタイルは微妙に違っているし、毎回良い裏切りがあるので驚かされる。今回はアシッドなベースループに打ち込みドラム、印象的な素材が多くつかわれていた。そしてボーカルが叫ぶ。僕は叫ぶことには憧れがあるせいか、とてもうらやましくなるし、叫ぶことがスタイルや前提になっていないところで叫んでいる感じがして、そこがまたいいのかなと感じました。やっぱりこの人たちライブでもっと観たい。

Posted by shimaf at 18時43分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年08月16日(日)

Aug. 13, 2009 の 夜 。 [mimiz meeting]

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2009年8月13日の夜、21時からmimizの3人でミーティングをする。
スカイプによるミーティングにもだいぶ慣れて、それだけで新鮮、といった気持ちはもうあまりない。その分内容に集中でき、90分程度で解散。

実はこのミーティング自体は先月から行いたかったのだけれど、3人の予定が合わず結局今月までのびてしまった。でもみんな元気そうでよかったし楽しく真剣に話ができた。

mimizは順調にいけば10月以降に動きが少しありそう。
少しずつ経過報告できればうれしい。

個人的には次回のmimizライブまでにPC内の処理構造を大幅に改良して臨みたい。

Posted by shimaf at 18時38分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年08月12日(水)

《変容の対象》8月3〜4小節目。 [福系]

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11日のお昼前にまとまった時間が取れたので、
ピアノに向かって《変容の対象》8月の3〜4小節目を書いた。90分程度。その後、濱地さんへメールする。
1小節目(の錯覚)の意味を活かすことが出来ているかどうかに関しては疑問が残ったが、数日前とは心理的な変化もあり、活かすことに縛られすぎるべきでもない、という思いもよぎった。

通常、構造を持たないあまりに感覚的な作曲は、途中で自分の意思の迷いのようなものにやられてしまって、結局最後まで書き上げることは難しい。構造は自分以外の視点を与えてくれる最良の骨格となるが、《変容の対象》の場合は異なる視点が少なくとも二つ存在するため、楽曲の構造自体は不定形でもある程度の推進力は保証される、というような実感がある。
ただ、やはりそこにも踏み外したくない領域というものは漠然と存在するし、結果的に1小節ごとの音選びは慎重になる。

月(曲)によってはあえてあちらこちらの様々な領域を踏み荒らしたようなものも存在したがそれはまたその時必要と感じられたということかもしれない。

Posted by shimaf at 15時46分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年08月09日(日)

《 Amorphous ring I 》の再構築、《変容の対象》。 [福系]

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《変容の対象》8月の2〜3小節目を8月7日の早朝に受け取る。
前回、濱地さんからの1小節目の提示に対してピアノの響きはある種の新鮮さを込めることができた。それは単なる錯覚かもしれないが、再びその錯覚を求めてしまう自分もいて、結果的に筆は遅くなる。8日は合唱の練習もあり、物理的にゆっくり向き合える時間がとれなかったこともあるが、それだけではないだろう。
今晩あたりは都合がいいかもしれない。都合だけ良くてもかなわない現実はいくつもあるものだけれど。

《 Amorphous ring I 》の楽譜がだいたい目処が立ったことから、音源も久しぶりにまとめようと考えた。まずは《 Amorphous ring I 》のシミュレーション音源を作成。これは濱地さんに吹き込んでもらっていたメロティー旋律を使って擬似的に演奏(コンピューターのプロセッシングを加える)をしたもの。この録音自体は先月にできていたので、今度はこの録音を再度加工して別の音響を作っている。
《 Amorphous ring I 》の曲内の音を使用したものなので、原曲の響きの細部を極端に注目していくような意識で作業した。変調、加工にはフェーズ・ヴォコーダーの処理や、フリーザー、チャンネル切り替えの手法などを主に使用した。中でもフェーズ・ヴォコーダーによるピッチの変調はある程度は効果的な響きを生み出した。

shimaf名義でささやかに続けているCDRシリーズ、前回の「タタミ カサネ クミナオス」以降なかなか新しく音源をまとめられなかったのも、自分なりに新鮮な響きを生み出せないでいたからというのが大きい。

濱地さんのソプラノサックスによる音色が加工を繰り返すと人の声に近づいて聞こえることがあった。
そうしたときに僕はひとつの到達点をみてしまう。
これはAML時に能勢山さんのギターの音をPCで加工したときも、タタミカサネの曲をライブ演奏したときも、丁度一年ほど前のleさんのライブなどでも経験していることで、聴くはずのない声を聞いているということには、いつもちょっとした驚きが含まれるように感じている。

あれだけ広い周波数域を鳴らしているのだから、その中から聴き手が擬似的に人の声(に聴こえるもの)を聞き取ってしまう状況などは、分析すればそれほど不思議な現象でもないのかもしれないが、
それを求めてはいない状況であれこれを音響を変調させながら、これはまず「あり」だと判断する基準がどこにあるのか、、。
その一つが「声のように聞こえた場合」に何かしらの価値をそこにみてしまうということが、何よりもまず興味深いことのように感じられる。
なぜ「声」が到達点となり得るのか。
微笑ましいくらいにシンプルな答えがある気がしてならない。




《変容の対象》もそうであろうけれど、小さな1つの一歩がまた別の到達点を誘発するし、そもそもそうでなければ進んでいくことはできなくなってしまう。

《contempt》の加工処理も以前から頼まれているので、そろそろ処理を進めてみたい。新たな地平がそこに広がれば濱地さんへ返答することができるだろう。

Posted by shimaf at 18時40分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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