mimiZ

mimiZのライブ情報、音源などを発信していきます。

2009年05月29日(金)

子供のためのクリエイティブダンスクラス [告知関係です。]

画像(180x135)・拡大画像(800x600)

明日(2009年5月30日)の土曜日に東京にいってきます。そしてまた新潟に帰ります。


子供のためのクリエイティブダンスクラス」というダンスクラスの発表会にて、最後に少しだけ即興で関わらせていただきます。9歳の男の子が行うライブペインティングに音で関わってきます。

「クリエイティブダンスクラス」ということで、他の発表内容も少し伺ったのですが、内容は非常に多岐に渡っていて

即興で歌を歌う。

とか

カエルの鳴き声の音の中で即興で踊る。

とか、

他にも演劇調のものあり、正統にバレエスタイルで振り付けを踊るものあり。

ライブペインティングあり。 非常に楽しみです。

1つ1つの演目は短く、全部あわせて30分くらいらしいですが、転換その他を考えてもう少し伸びると考えられます。


見に来るのは自由のようですので、都合のいい方はぜひ。




即興、とかをどうとらえるかは未だに難しいです、ただ最近少し思うのは
例えば「図形楽譜」を前にして、僕は「普通は演奏できない」と考えてきたわけです。
五線譜じゃないし、どうやって弾けばいいのか教えられたこともないし。

そんな中でも今年になって、何気なくピアノを弾いていた時に、意識的に庭の花を見るようにしてみたことがありました。そうしたらその見ている間は演奏の方向性が変わっていってしまって、それはそうしようとしてやったわけでもないのですが、そうなってしまった、というところになにか何かポイントがあるのかなと何となく思うわけです。

そんなことを考えながら明日はやってみます。





※「子供のためのクリエイティブダンスクラス」は僕のIAMASの同期の方だと分かるかもしれませんが、徹子さんの主催するスクールです。場所は
こちらのリンク
に地図があります。僕も伺うのは始めてですが、グランドピアノがあるそうなので、明日はそれとコンピューターを使ってみます。よろしくお願いします。

Posted by shimaf at 16時03分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年05月27日(水)

2009年6月13日。 [告知関係です。]

来月、濱地潤一さんが東京の高円寺「円盤」さんで演奏されます。
目下
作曲中らしく、楽しみです。


以下濱地さんのブログより。


*********
6月13日(土)高円寺「円盤」さんで。久々の円盤さん。「ふきもの」


19:00-/Charge¥1500

「ふきもの」

出演:徳永将豪/濱地潤一(from和歌山)/遠藤里美/ロレッタセコハン
*********

Posted by shimaf at 17時43分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年05月25日(月)

最近と今後。 [告知関係です。]

画像(180x130)・拡大画像(799x581)

Amorphous ring Iの楽譜完成。もう少ししたら音源をまとめてセットにしてBOOK OF DAYSさんにお願いして置いてもらいたい。でも、どうしようか。まだお願いしていない。
上古町は今まだ工事が続いていて人通りが減っているそう。

先日はmimizでskypeミーティングをした。久しぶりに話をするとうれしい。
mimizは今年中にCDをプレスを。もうだいぶ必要なものはそろってきた。


あと最近は、音でお手伝いさせてもらうことの話し合いをすることがあったり。多くはダンスに関係することだったりするが、資料読んだり考えたりしたら少し想いが伝わってきた。ふだん考えない。

今日は円秀さんにお会いした。6月23日のANTI MUSIC presents
「渡邊琢磨×千住宗臣DUO」の異常なまでの気合いの入りっぷりにニヤけてしまった。いつもは「最初でいいですよ。」というディーゼル・ギターの能勢山さんが今回は二番手を強く要求していたり、かなり普通じゃないSEを予定しているという円秀さんのDJ。思っていた以上に本当に気合い入っていました。
楽しむために多少の無茶をする、自家中毒状態に陥りそうなニイガタアンダーグラウンド、どうなるか。
http://sea.advenbbs.net/bbs/yybbs.cgi?id=moyamoya&mode=view&no=1345

Posted by shimaf at 18時53分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

score. [福系]

画像(126x180)・拡大画像(421x597)


中表紙に。

3*3で9というところと
赤と青で組まれた1組の折れ線が3組それぞれ自由に組み合わさっている
というところが
《 Amorphous ring I 》のコンピューター内部構造と曲の構造に近似している

近似しているというのは「なんとなく似ている部分がなくはない」
という程度に
これ自体はスコアではないけれど

作品の楽譜解説では書ききれない部分を
少しだけ補うのに、案外重要か。

Posted by shimaf at 01時14分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2009年05月22日(金)

先日のアランについて書いたこと。 [福系]

画像(180x135)・拡大画像(800x600)

以前、アランのプロポのことをここでも書いたのですが、別のところでも書いていたところ、IAMAS時に大変お世話になった岡澤理奈さんと、最近大変お世話になっている濱地潤一さんからレスポンスをいただきましたので、お断りしてここにも転載させてもらえることになりました。

岡澤さんも濱地さんも読んでいる本の量が僕とは全然違うので大変恐縮です。僕だけヒートアップしている感じもなんだか情けないのですが、いいです、そのままのせます。

ありがとうございました。精進してもっと勉強します!


*********

■ おか ざわ り な - 2009年05月17日 00:25

偶然というかなんというか、私もここ数ヶ月、アランのプロポにどっぷりです。

■ shimaf - 2009年05月17日 00:36

え、すごい。僕はアランのこと全然知らないのですが、詳しい人いないかなーと思っていたんです。わぁ、ちょっと助かるなぁ。
なんかベートーベンについても書いているんですね。
今は基本的な部分が全然抜けていながら、文章の魅力だけで読めている感じ。

■おか ざわ り な - 2009年05月17日 00:54

アランを少し読んで、その確固たる"中庸さ"を感じ取れるということはすでにアランの本質に直接コネクトしているのではないかと思います。
プロポはもともと新聞のコラムとして、書き直しなしで一気に筆を走らせて書かれており、その時々の筆者の集中力が現れているのが魅力の一端だと感じます。その点で『日々』がひきあいに出てくるのもうなずけます。

個人的には、"道徳"、というか"道"について考え、"王道"を迷わず行くと、アランの中庸さに近接できるのかなぁと思っています。
 
 
私の好きな二節を引用…

崇高な筆跡(トレ)というものは、つねに、しごく平凡なものである。崇高な曲も同じである。多くの作者は、自力でそれを追求したかのような感をいだかしめる。しかも、ついにそれを発見しえた者は、他人の仕事からなにをえたかについては、けっして、語ることができない。
 

なによりもむずかしいのは第一音だ、といわなければならない。美しい曲が、その始まりからして美しいのは、どうしてであるか。このことを、あなたは考えたことがあるだろうか。

■ hamaji junichi -2009年05月17日 17:28

興味深いやりとりですね。中庸さ、というと少し違いますが、あの日アランのプロポを少し読ませていただいて、ドビュッシーが自然の光や風などの不確定さに美をもとめ、音を組織したことが想起されもしました。あの浮遊感をともなう煌めく全音音階の導入は当然ながら必然であったわけですが、その必然が思索の思索の果てからうまれたものであること。「美しい曲が、その始まりからして美しいのは、どうしてであるか。このことを、あなたは考えたことがあるだろうか」ためらいがちにでも、しかしはっきりとうなずきたいものです。


■shimaf -2009年05月17日 19:45
おか ざわ り な さん、濱地さん、コメントありがとうございます。


「個人的には、"道徳"、というか"道"について考え、"王道"を迷わず行くと、アランの中庸さに近接できるのかなぁと思っています。」
確かに非常にナチュラルな、自然に感ることの当たり前さを大切にしていた人なのでしょうか。感性というか。

一晩考えてみたのですが、アランはなんだか対外的には戦いを避けているように感じられる箇所があって、時にフランス社会に対してとか皮肉めいたことも書いたりするのですが、でも結局最終的な思索の対象はいつも自分自身の内部でおこっていたような気がします。
サルトルなどを批評している部分もあったかと記憶しているのですが、その批判がなんかすごく独特で印象的だった気がします。時間があったらその部分を探してみたいですが、僕はその文章を読んで、まさかアランが哲学者だったなんて思えなかったんですよ。哲学者としてのフィールドとかその中で議論を交わすこととか、全然興味がないか、あるいは引けるところまで引いた結果の最大の批判だったのかもしれませんが。それはまるで「哲学をすることは意味はないのでは?」と哲学者自身が言っているような(しかも極めて非断定的に)、そういう不思議な感覚です。

わからないものに名前を付けることよりも、わからないものの捉え方や流し方の方になにかを感じていたような部分があるでしょうか。




「ドビュッシーが自然の光や風などの不確定さに美をもとめ、音を組織したことが想起されもしました。」

そういった意味で、とらえられそうでとらえにくい不確定さというのはいつも人を虜にしてきたようです。カオス理論の体系がまとまる前段階での不確定さの研究なんかは非常に面白いですし、数学がそうなら、他のあらゆる分野でもそうした関係はみられそうですね。そして、音楽だけでみても、武満さん、ウェーヴェルン、ケージ、みんな自然に耳を澄ましていました。
そしてまた、現在の僕の周りを見てみても、そうした関わりを大切に考えている人は多いように思われるし、濱地さんの最近の即興方法にもそうした自然の流れを感じたりします。


すいません、まとまってもいないくせに、長いわ。

せっかくのやり取りなのでよかったらこれ、mimizのblogの方に転載してもいいですか?>お二方。


■ おか ざわ り な -2009年05月17日 20:50
No problem!


■ hamaji junichi -2009年05月17日 22:31
大丈夫です。勿論。名付けられた瞬間、それは「存在」する、、、では名付けられる前の、その未出の「モノ」はいったい、、、とか考えましたよ遠い昔。実存とは、、、サルトルか、、、なつかしいです。ほとんど憶えてません。サルトル、生きている間に有名になったものだから「ああ、私は歴史には名を残せない」と絶望したとか。話がそれました。すいません。譜面書きます。これから。

Posted by shimaf at 00時31分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

過去の記事へ

ページのトップへ ページのトップへ

menu

5

2009


          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

広告

PHOTO

飛躍。

飛躍。

141108

141108

120129-30

120129-30

検索


カテゴリーリスト

最近の記事

最近のコメント

RSS1.0 podcast

[Login]


powered by a-blog
Copyright (C) 2007-2009 mimiZ All rights reserved.