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2011年11月16日(水)

111115 [《変容の対象》]

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2011年11月16日に日付の変わった頃:《変容の対象》2011年11月の2-3小節目(ピアノパート)を濱地潤一さんへ送る。

++

今日は午後、少しだけ新潟市に行った。荷物が重かったのと、早く用事を済ませて帰りたかったのとで効率良い移動を心がけた。けれど、一部バスのタイミングとあわず万代橋を歩いて渡ることになった。
小雨降る、新潟らしい重たい雲があり、風は随分冷たくなっていた。

この「新潟らしい」と感じる質感はなんだろう。

そんな曇天を見ていたら、「砂山」という童謡にある北原白秋の歌詞を少し思ったりもした。確か、「砂山」の歌碑も坂口安吾の碑のそばにあったのではなかったか。

だいたい予定通りの時間に帰り、そのまま濱地潤一さんとSkypeで少し話しをした。落ち着いて話ができ、よい時間だった。自然と坂口安吾の話題にもなった。

北原白秋が新潟の浜辺で見た風景で、印象的だったのはグミのはらっぱや群れ飛ぶスズメ、だったそうだ。"空は灰色で雲は低く垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな空模様"、1922年(大正11年)に白秋がみた新潟の空もそんな言葉で表現されているようだ。

新潟で生まれ育った身としては非常によく分かる、少ない言葉でも共有し得る背景のようなものを持っているからだろうか。年月の積み重ねとともに染み付いてくる、堆積していくこれはいったいなんだろう。

もっとも、新潟の空を知らない人達もいる、そしてもちろん、その逆もあるのだろう。知らない空に接したときに私たちは何を受け取るだろうか。

ただ、「知らない空は知らない国や地域にある」、こう書いてみてこのような仮説をいま実感を持って求める事は可能だろうか、とも考える。
いま、「知らない空の存在」を信じることは可能かどうか。

もちろん、同じ地域にも様々なバリエーションがある、しかしそのバリエーションを超えるような大きな差異と対峙する際に感じているものは何なのか。

また、例えばエストニアのタリンで見た重たい雲に、新潟の空との類似を感じ不思議に心動かされたのはなぜなのか。

心での対峙方法を幾何図形で現すことは可能だろうか。自己があるとして、外部からの情報に対峙する内部はまずどのような形をしているか。そして外部と内部にひかれた線、そこから得られた全体図形がどのようなバランスを形成するか。対称性は表れるのか。おそらくその図形のバランスと感情の質感は何か関係性を持っている、のだろうか。


そして、乱暴にここまでの疑問形をすべて断定形に変換したときにまだ残る疑問のようなもの。


坂口安吾の碑に刻まれている言葉「ふるさとは語ることなし」。

Posted by shimaf at 00時04分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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