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2009年05月22日(金)

先日のアランについて書いたこと。 [福系]

画像(180x135)・拡大画像(800x600)

以前、アランのプロポのことをここでも書いたのですが、別のところでも書いていたところ、IAMAS時に大変お世話になった岡澤理奈さんと、最近大変お世話になっている濱地潤一さんからレスポンスをいただきましたので、お断りしてここにも転載させてもらえることになりました。

岡澤さんも濱地さんも読んでいる本の量が僕とは全然違うので大変恐縮です。僕だけヒートアップしている感じもなんだか情けないのですが、いいです、そのままのせます。

ありがとうございました。精進してもっと勉強します!


*********

■ おか ざわ り な - 2009年05月17日 00:25

偶然というかなんというか、私もここ数ヶ月、アランのプロポにどっぷりです。

■ shimaf - 2009年05月17日 00:36

え、すごい。僕はアランのこと全然知らないのですが、詳しい人いないかなーと思っていたんです。わぁ、ちょっと助かるなぁ。
なんかベートーベンについても書いているんですね。
今は基本的な部分が全然抜けていながら、文章の魅力だけで読めている感じ。

■おか ざわ り な - 2009年05月17日 00:54

アランを少し読んで、その確固たる"中庸さ"を感じ取れるということはすでにアランの本質に直接コネクトしているのではないかと思います。
プロポはもともと新聞のコラムとして、書き直しなしで一気に筆を走らせて書かれており、その時々の筆者の集中力が現れているのが魅力の一端だと感じます。その点で『日々』がひきあいに出てくるのもうなずけます。

個人的には、"道徳"、というか"道"について考え、"王道"を迷わず行くと、アランの中庸さに近接できるのかなぁと思っています。
 
 
私の好きな二節を引用…

崇高な筆跡(トレ)というものは、つねに、しごく平凡なものである。崇高な曲も同じである。多くの作者は、自力でそれを追求したかのような感をいだかしめる。しかも、ついにそれを発見しえた者は、他人の仕事からなにをえたかについては、けっして、語ることができない。
 

なによりもむずかしいのは第一音だ、といわなければならない。美しい曲が、その始まりからして美しいのは、どうしてであるか。このことを、あなたは考えたことがあるだろうか。

■ hamaji junichi -2009年05月17日 17:28

興味深いやりとりですね。中庸さ、というと少し違いますが、あの日アランのプロポを少し読ませていただいて、ドビュッシーが自然の光や風などの不確定さに美をもとめ、音を組織したことが想起されもしました。あの浮遊感をともなう煌めく全音音階の導入は当然ながら必然であったわけですが、その必然が思索の思索の果てからうまれたものであること。「美しい曲が、その始まりからして美しいのは、どうしてであるか。このことを、あなたは考えたことがあるだろうか」ためらいがちにでも、しかしはっきりとうなずきたいものです。


■shimaf -2009年05月17日 19:45
おか ざわ り な さん、濱地さん、コメントありがとうございます。


「個人的には、"道徳"、というか"道"について考え、"王道"を迷わず行くと、アランの中庸さに近接できるのかなぁと思っています。」
確かに非常にナチュラルな、自然に感ることの当たり前さを大切にしていた人なのでしょうか。感性というか。

一晩考えてみたのですが、アランはなんだか対外的には戦いを避けているように感じられる箇所があって、時にフランス社会に対してとか皮肉めいたことも書いたりするのですが、でも結局最終的な思索の対象はいつも自分自身の内部でおこっていたような気がします。
サルトルなどを批評している部分もあったかと記憶しているのですが、その批判がなんかすごく独特で印象的だった気がします。時間があったらその部分を探してみたいですが、僕はその文章を読んで、まさかアランが哲学者だったなんて思えなかったんですよ。哲学者としてのフィールドとかその中で議論を交わすこととか、全然興味がないか、あるいは引けるところまで引いた結果の最大の批判だったのかもしれませんが。それはまるで「哲学をすることは意味はないのでは?」と哲学者自身が言っているような(しかも極めて非断定的に)、そういう不思議な感覚です。

わからないものに名前を付けることよりも、わからないものの捉え方や流し方の方になにかを感じていたような部分があるでしょうか。




「ドビュッシーが自然の光や風などの不確定さに美をもとめ、音を組織したことが想起されもしました。」

そういった意味で、とらえられそうでとらえにくい不確定さというのはいつも人を虜にしてきたようです。カオス理論の体系がまとまる前段階での不確定さの研究なんかは非常に面白いですし、数学がそうなら、他のあらゆる分野でもそうした関係はみられそうですね。そして、音楽だけでみても、武満さん、ウェーヴェルン、ケージ、みんな自然に耳を澄ましていました。
そしてまた、現在の僕の周りを見てみても、そうした関わりを大切に考えている人は多いように思われるし、濱地さんの最近の即興方法にもそうした自然の流れを感じたりします。


すいません、まとまってもいないくせに、長いわ。

せっかくのやり取りなのでよかったらこれ、mimizのblogの方に転載してもいいですか?>お二方。


■ おか ざわ り な -2009年05月17日 20:50
No problem!


■ hamaji junichi -2009年05月17日 22:31
大丈夫です。勿論。名付けられた瞬間、それは「存在」する、、、では名付けられる前の、その未出の「モノ」はいったい、、、とか考えましたよ遠い昔。実存とは、、、サルトルか、、、なつかしいです。ほとんど憶えてません。サルトル、生きている間に有名になったものだから「ああ、私は歴史には名を残せない」と絶望したとか。話がそれました。すいません。譜面書きます。これから。

Posted by shimaf at 00時31分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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