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2009年05月15日(金)

090509楽屋。 [福系]

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だいぶ日も長くなりました。昨日の夕方の雲の存在感にやられてしまい、昨日は早々に寝込んでしまいました。


先日の「電子音響音楽シンポジウム&コンサート2009」の際に、朝から無理を言って濱地潤一さんと合流し、出演者としては一番のりで会場入りしてみたものの、リハーサルまでは結構な時間があり、かといってリハーサルが終わってからも本番までは結構な時間がありで一日中ソワソワして過ごすことになりました。

ですが、楽屋で濱地さんとあれこれしゃべっている分には時間を忘れ、ここぞとばかりに話をしていた訳です。

その中の話題の一つに、僕が今回どうしても聞きたかった話題があり、それを濱地さんへ聞いてみたものがありました。
それは、アランというフランス人哲学者の書いたプロポという形態の文章をまとめた『四季をめぐる51のプロポ』というものでした。

今年の春に偶然見つけて500円だしと購入してパラパラ読んでいたのですが、書かれていることが非常に新鮮で、、というのも一見何気ない文章で、断定的な部分は極めて少なく、これといった主張を得られないかのように思いながらも、文章全体から伝わる温度は非常に中庸な、しかもそれが確固とした決意を帯びている。そんな何とも言えないものを含んでいるように感じていました。
それぞれのプロポは最後に日付が記載されていて、おそらくその日に一気に書かれているのだと思うのですが、一応年代が違えど月ごとに並べられています。
自然の周期的な変化と人間の精神がリンクしたりしなかったり、しかし何かしら影響を受けている、そうした偉大な自然に対してすべて自らの思考を対応させようとはしていないのですが、だからといってそれをすべて否定もしていない。その中庸な立ち位置がむしろ新鮮に思えました。

思想としてはたぶん「弱い」と判断されてしまうようなこうした曖昧さを、「たたずまい」としてしっかりと主張、実践しているということが、不思議にも思え。これは戦うための思想では全くないし、20世紀初頭にこういう考えがあったということ自体にも驚きました。

「中庸さ」ということで僕がいつも頭に思い浮かべるのは、前田真二郎さんで、僕が学生の頃にそうした話をしてくれたことがありました。確かアルゴリズミック・コンポジションのどこまで作者が作り込むべきかという論点の中で、そんな話題になったと記憶しています。(これは同時に全く作り込まないことなどできるだろうか、ということも含みます。)

表現の「中間領域」みたいなものに少しずつ目が向き始めたのはそれ以降になります。

表現の「中間領域」とはなにか、それは単に中途半端ということではなく、まだよく理解できていない部分、言語化するにはまだ未整理な表現だったり、複数の要素が奇跡的なバランスでなんとな成り立っているような、そんな領域なのかなと個人的には思っていますが、ちょっとよく分からなくなったときは前田さんの「日々」を観かえしてみることにします。

Posted by shimaf at 17時43分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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