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2008年11月07日(金)

五線譜で作曲。 [福系]

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今年はピアノ伴奏のついた歌を作曲する機会があり、つい先日それに一応の目処を付けることができました。ある詩に旋律をつけ、それに伴奏を書くという、、これはいわゆる作曲を学んでいる人は必ずやってきていることですが、僕自身はこれまで公式に発表はしていませんし、今回の機会が初めてといってもよいと思います。貴重な機会となり学ぶものが多かったです。

こうした作曲は、長年ある種の魅力は感じていつつも、どこに面白さを見いだすかという点でいつも少し悩んで、結局横に置いてしまって、他のやるべきことをやってきたということになります。

一般的な、従来の作曲の範囲内での作曲は、これまでに多くのスタンダードな理論が作られていますし分析もされています、それらを並べれば一応体裁のいいものにはなるのかもしれませんが。ただ、やはりそこにある種の新鮮さなどを求めようとすれば、とても奥深いもので一筋縄ではいきません。

まさにこうした作曲を長年追求されている方も多くいる訳ですし、それに比べれば自分はとてもかないません。そういう観点からすればポップスはまさにそれらの激戦区とも考えられますし、すばらしい想像力がその時代ごとにあらわれているでしょう。クラシックの世界に限ってみても、歴史的に見ても偉大な作曲家は数々の名曲を生み出しています。
なんだかそんなことを考えだすとまた作業はいっこうに進まず、停滞してしまうのですが、そんなことをいつまでも考えても白紙の五線譜がうまる訳でもありません。ここは一つ最も謙虚な気持ちになって機能和声を復習しました。

(機能和声がなぜ人にとって"機能する"のかを考えてしまうと素直に作曲はしにくいものがあります。機能和声が機能するということをまずはいったん盲目的に信じてみる、響きを味わうという姿勢で今回はのぞむことになりました。)

mimizの活動をはじめ、AMLや個人名義の作曲作品は音の密度としては「超過密か超疎密」な構造をもっています。一般的には扱わない周波数を扱ってみることや、早すぎる処理や遅すぎる展開など、それらの状況の中でかえって見えてくる音楽的な音の振る舞い(機能)を発見し、発展を目指してみる。。そんなここ数年の経験を通してそれなりに自分なりの蓄積はあり、それが今回の作曲に活かせたかどうかを考えると、意外にも思った以上に活かせたのではないかというの感じはしています。主に全体構造の時間の捉え方、つまり構成の部分でのトータルなアイディアは以前よりも感覚的に確かと思える部分はありました。ただ、クオリティーとしてはまだ入り口程度という感じでしょうか。


超過密と超疎密の間の中間部分は人間にとって非常に意味を持ちやすい領域だということで、そこには多彩な感情や語法が渦巻いているように思えます。人にとって様々な表情を一番感じ取りやすい領域だということなのだとおもいます。そういう領域の中でのみ音を配置することを一つのフォーマットとして、そこに創意を向けてみること。事実これは粘土をこねて形を整える作業にも似ていました。

(濱地潤一さんがご自身の作曲において「引用」と呼ぶものの意味はこうしたことの中にも隠れているかも知れないなどと思いつつ。様々な背景を背負った”機能”の分類と抽出と使用。借用した世界での創意とそれらの連結。など。)

結局まだまだ音楽は理解するのに難しいのですが、今回の貴重な経験を次のステップに活かせればと思っています。奇麗に構築された機能和声からなる響きの連続は、美しい「推進力の結晶」の様なもので素敵です。


あとは、機能和声の世界で煮詰まってしまった人がもし近くにいたときは、ノイズや非音楽的な音を使ったセッションなどを一度試してみてはどうかと薦めることのできる、そんな人でありたい。くじけるかもしれませんが。


ノイズを扱うということが、機能和声による音楽からの単なる逸脱であるということではなくて、機能和声の延長線上あるいは拡張に位置するという態度は少なくとも今後のmimizとしてはより必要になってくるでしょうし、

そうでもないといつまでも何もかもが分断したままです。



Posted by shimaf at 14時42分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 2 )

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コメント

濱地潤一様

コメントありがとうございます。福島です。
まだうまく言葉がまとまっていないのですが、
ここでは機能和声はもともと西洋音楽が感覚的に選んできた「響きの機能」の分析整理だという前提で考えてみます。では、感覚的にそれを選んできた最初の段階では環境や宗教や風土的な前提が「対象」としてあったと考えるのは不自然なことではないと思います。

ここですべてを書くには準備不足で書ききれないのですが、いま個人的に問題に思えて仮定してみるものとしては、その「対象」がどのようなものだったかということと、作品を時代的にずっとさかのぼればその「対象」の原型により近づくことができるのかどうかということです。
もしくは、それが不可能と思えるならその理由についてです。

たぶんその辺りは一般的に「引用」と呼ぶ行為に関係している気がします。

shimaf 2008年11月10日 22時17分 [削除]

興味深く読ませていただきました。機能和声の膨大な先人の創造の痕跡を見るにつけそこに脅威と畏怖の感禁じえません。そして音の組織はある機能を孕むとともに、その機能から逸脱する力、また意味の変換、消失を誘発する力もあるでしょう。「ノイズを扱うということが、機能和声による音楽からの単なる逸脱であるということではなくて」この言葉に心うたれます。自分が使う「引用」という言葉の意味は一般のそれ(nodalpoint/modal pointではドビュッシーの一節がそのものずばり引用されていますが、それは例外的と言った方が良いと考えています)とは少し違いますが、福島さんのおっしゃられていることもその大きな視点のひとつです。また機能和声について、そこから出発したコルトレーンの「giant step」(意識的な無調への和声組織、急速に転調を繰り返す)や、バルトーク、メシアンのモードと無調、そこから俯瞰されるノイズについてお話を。

「そうでもないといつまでも何もかもが分断したままです」

つまり、分断されていないということを我々はどう表白するのか。是非作品につなげたく思いました。

メシアンのピアノ曲の一節、移調の限られた旋律第二が、超高速で演奏されるとき、ノイズとの近親性を見るのは、、、

新曲また聴かせてください。

濱地潤一

濱地潤一 2008年11月08日 14時52分 [削除]

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