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2016年02月06日(土)

CD 松井茂「時の声」 [レポート]

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松井茂さんの(詩集としての)CD「時の声」を聴く。

松井茂さんの詩に対する個人的な体験としては、2015年の9月12日に岐阜県美術館の多目的ホールで行われた音声詩(朗読 さかいれいしう さん)でのことが忘れられない。その時点で私は松井さんの具体詩・音声詩といった言葉の意味するところを理解できていたとは思えないのだけれど、そこで朗読される言葉の羅列がどのような経緯を経て生成されたものであったかの解説を聴いた時点で、これは、と思えるポイントが自分の中に生まれるのを感じた。
じんわりとではあるが、強い経験として記憶されている。

その時点で、松井茂さんがあらかじめ作成したという具体詩を聴いたことがなく、だからこそかもしれないが、その関係性自体に詩のあり方を強く感じたといってもいい。詩における詩情というものがあるとして、元々それは詩人本人の中に生まれるところから詩の生成は始まるものだと、それまで私は考えていた。

しかし、松井茂さんは詩人の中にある詩情というものを、一旦身体の外にポンと出してみせたのだと、その時の私はそのように感じた。それは、詩人の詩情とどれだけ繋がっているものなのか分からないにしろ、詩人だけではなく複数の他者が共有できるものとしてそこに置かれたことにより、詩人個人の特権としてなどではなく複数の他者が関われる対象として現れたことになる。

今思えば、詩にまつわる行為自体をここまで明確に構造化してみせる態度そのものに僕は痺れてしまったんだと思う。そしてこれはメディアの伝達に関わる事柄とも無縁ではなく、それ故に各メディアの個性を引き受ける形で伝達され続ける何かについて、つまりはそこにこそ詩が宿るのだというような、(真偽のほどは分からない)幻惑のようなもすら感じた。

そして、今回のCDである。ここには1から3番までの具体詩(ミュージック・コンクレートの手法による音響作品)と、それをさかいれいしうさんの声で写し取った音声詩がそれぞれ対応するように配置されている。最後に置かれた「時の声」はまた少し別の転写の経由を経た朗読となっている。

私にとって謎のままだった具体詩を実際に聴くことのでき、自分にとっては誰にも強要されない答え合わせのような気持ちもかすかに持ちつつ、それが声によって写された音声詩に流れる多層的な時間(おそらく2番から強調される)にはっとなる。ここでの音声詩はまだ一人の声のみで朗読できるだけのものにはなっていないからだ。

例えば文章は、一直線に経過する時間を想定して書かれる事によって、それはやっと独りの人間が朗読するのに足りる情報量に抑えることができる。私たちは日々膨大な情報を摂取しているが、それを言葉にするためにやっていることとは、文字をひたすら一列に並べることでもある。

そうした文字や時間の形態のことについてぼんやり考えていると、最後に収録されている「時の声」がふわりと一瞬の風となって訪れ、消えていった。
非常に美しい静寂だった。


結局、ここに終着点はなく、詩の構造について考えさせられるヒントはそれこそ明確に提示されているものの、やはりここに留まっている一種の居心地良さについての説明はなかったりもする。それはやはり詩人の心の中に生まれたもの、なのであろうか。

松井茂さんの今後の活動にも注目しつつ、
詩についてもっと考えを深めたい。

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Posted by shimaf at 15時47分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 2 )

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コメント

麗秋様

コメントありがとうございます。
詩と呼ばれるものを、私はこれまであまり上手く理解できていない気がしています。一方で言葉と言葉の関係性から生じる新たな意味性や奥深さなどには惹かれもします。その場合は省略された言葉の背後に大きく深いニュアンスが含まれるものを感じるからでもあります。

ただ、そうしたものに出会う頻度はそう多くはありません。大抵の場合は、詩人個人の単なる感情の発露に留まってしまっているとも思え、またそう思った瞬間にその詩の対象への興味が無くなってしまいます。

ということもあり、優れた詩は多く存在すると思いながらも、詩というものの持つ魅力の一面だけが、あたかも唯一の詩であるように振る舞っている状況も感じています。(音楽にも似たような状況はあるでしょう。)

そうした意味において、松井茂さんのこうした試みが、単なる感情の発露で終わることなく、また(詩自体でなく)詩にまつわる関係性について多くのヒントを提示してみせているという一点において、私は評価に値するナニモノかであると強く感じています。

shimaf 2016年02月14日 17時05分 [削除]

東海の小島の磯の白砂に
 われ泣き濡れて蟹とたわむる   

 この歌に心奪われる人の心理は
 @意味のある言葉から浮かび上がる情景
 A作者の境遇や生い立ち・人生歴史
を理解することにより、より深く歌の世界に入っていける
 この@Aを理解しなくとも
歌の世界に入り込むことが出来るのか・・・疑問。

 いわゆる言語を音声のみの機能で伝えることの意図する所は
何なのか?・・・・・???音楽に近づくのかなあ。
   麗秋
  

麗秋 2016年02月07日 10時11分 [削除]

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